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清田拓郎​ブログ

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令和3年師走/22「榊」  

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神社でいただいた榊(さかき)の苗を鉢で育て始めた。おかげさまでそれ以来、我が家の神棚には新鮮な榊が青々しく並んでいる。枝の途中にタネらしきものがポツポツとくっ付いているのだが、果たしてそれがタネかどうか現段階ではまだ分からない。長きに渡って祭祀に使われた「榊がなぜ選ばれたのか」が苗を育てながら見えてくるかもしれない。今年も多くの方々とご縁をいただき、実に学びの多い日々であった。来年も関係者と共にイヤサカ(繁栄)の道を一歩ずつ踏みしめていければ幸いである。皆さま、お一人お一人が良いお年でありますように…

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令和3年霜月/23「新嘗祭に虹」       ​

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虹は不思議で仕方ない。「信じる者にしか見えない」と言わんばかりに、ほんの少しのタイミングや場所のズレで気付く人とそうでない人に分かれる。今この瞬間にこの感動を・・・と思って友人へ連絡したところで「どこ?どこ?」となることもしばしば。もちろん逆のこともまた同様に起こる。人類は「なぜ?」に対して答えを説明しようとするけれど、それが本当に説明になっているのかさえ実際のところは分からない。結局のところ、我々人類がどれほどの科学技術を駆使しようとも、不思議は不思議のままで良いのではないか。そのまま放っておけば手品のように「スゴいスゴい」と心躍らせるまま終われるのである。

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令和3年神無月/12「カタツムリ旅情」       ​

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自宅の駐車場で車から降りた瞬間、足元あたりにものすごい存在感があった。すぐにそれが何であるかは判断できなかったが、視線を低くしてキョロキョロと見回してみると、そこにはカタツムリが堂々と昼寝をしていた。このコンクリートで居心地は大丈夫なのか、車が空気を汚していないかなどと気が気でなくなり、カタツムリにとって居心地がよい環境を…と、せめてもの思いで、その後、車の位置をそこからできるだけ遠い場所に移動させた。不思議なことにそのあと数日して確認してみると、跡形もなく、そこからカタツムリは姿を消していた。また気が向いたらいつでも遊びに戻って来て欲しいと願うばかりである。

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令和3年長月/1「日本語ハ偉大ナリ」       ​

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日本語がいかに優れているのかを示すのに伊能忠敬を例に挙げるのが適しているように思う。それは天文学を駆使し、その天文学の正確さを証明している数学を駆使し、数学を発展させた大元にある日本語を駆使した伊能に辿り着くからである。圧巻なのは伊能忠敬記念館のロビー入ってすぐのところで巨大モニターに映し出された現在の日本地図と、伊能が歩いて作った日本地図が交互に出てくる演出である。その正確さたるや、言葉が出なかった。それ以上に伊能忠敬という先人の生き様から学ぶことの多いこと多いこと。誇り高き我が国の歴史文化伝統を次の世代にきちんと継承せねばならないと改めて胸に刻んだ。

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令和3年葉月/12「護国神社巡り」       ​

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8月15日を前に、約1ヶ月ほどかけて全国の護国神社を参拝した。それぞれの地域性を感じるのが楽しみの1つではあったが、この暑さの中で約80年前に我々の先祖が何を思い、どのような思想のもとで未来へ思いを馳せていたのか…今日という一日があるのはどれほどの恩恵の上に成り立っているかをただただ思い知らされるのみである。いつも以上にセミの声が私の心の中に突き刺さった。

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令和3年文月/8「歴史の奥深さ」       ​

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偶然にも「切手文化博物館」なる表示を見かけ、迷うことなく入館した。小学生の頃に収集していた切手以上のものがあるかもしれないとワクワクした逸る気持ちを抑えながら、ほぼ開館と同時に入館した。結論から申し上げると、切手の歴史文化伝統に魅せられ、気が付いたらお昼の時間になっていた。今日という恵まれた環境があるというのは、どのような恩恵の上に成り立っているのかを思い知らされた。感動に包まれたまま外に出ると、郵便配達員の方とすれ違った。自分の中で何かがつながってような気がした。あまりの感動に、その後の道を間違えまくってしまい、なかなか次の目的地に辿り着くことができなかった。幸せだった。

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令和3年水無月/30「夏越の大祓」       ​

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我が国には「皇紀2681年」という奥深い歴史がある。読み書きで残されたものよりも強い結びつきのある「口伝」によって、人から人へ、親から子へ、師匠から弟子へ、長い時間をかけて継承してきた。たとえどんなに世の中が揺れ動こうとも、我が国には確固たる「軸」がある。今日の大祓式に参列しながらその「軸」を守り続けてきた先人たちを思い浮かべ、ただただ敬服するのみだった。
​それが嬉しかった。

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令和3年皐月/28「死と再生」       ​

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視界のどこかが気になって仕方がなくて、どこだろうとずっと探していたら足元に(上の写真のような)葉っぱがいっぱい落ちていた。それを手に取り、しばらく観察していたら「この葉っぱがピースしてるように見えた」のが気になっていたのだ。地面のそこらじゅうに「ピース」「ピース」と、修学旅行の写真撮影か何かでカメラの前に競ってソソり出る高校生のように、嬉しそうな雰囲気にあふれていた。それと同時に「葉っぱが2つの方向に伸びている」という点でも不思議でいっぱいだった。「葉っぱの形」だって自由なように、私たちのココロだって日々自由に形を変えていいんだということを改めて考えさせられた。

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幼少の頃から見たことのあったミノムシの家。家のまわりを歩きながら発見したそれは、不思議としか言いようのない角度で我が家の壁にしっかりと固定されていた。(なぜ先っぽだけくっ付けたのだろう?)(風で飛ばされないのだろうか?)(なぜわざわざ壁の上のほうに位置づけたのだろう?)(先っぽをくっ付けてる白いものはどこからどのように運んできてくっ付けたのか?)(全身を壁にくっ付けない理由は何なのだろうか?)(この長さはどのように決まったのだろうか?)

​・・・と、考えれば考えるほど不思議でならない。でもだからこそ、不思議は不思議のまま、このミノムシの家のように、そっとしておくのがいちばんな気がした。

令和3年卯月/29「不思議は不思議のまま」       ​

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令和3年弥生/13「雨上がりに」       ​

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朝から雨が続き、夕方前にカラっと空が晴れた。「虹が出てるかもしれない」と思ってすぐさま外に飛び出してみると、案の定、わずかだけれど虹が見えた。嬉しくて何枚も写メを撮った。この虹の角度からすると、もし全体が姿を現したとしたら相当大きな虹になったことだろうと思った。きっと5分でも外に出るのが遅かったら、この虹を逃していたかと思うと、さらに不思議な感覚になった。大自然が示してくれてる「ヒント」に気付ける今日でありたいと思った。

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令和3年弥生/5「洗濯ネタ帳」       ​

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あろうことか、肌身離さず持ち歩いているネタ帳を「いつもポケットに入れているがゆえに」洗濯してしまった。ボールペンも含め、いつものセットそのままが洗濯機の中から、ポケットの中からゴソっと出てきた。案の定、ページは「和紙づくり」の過程のような、水分たっぷりなボソボソとした紙のまとまりに様変わりしてしまった。「すぐに乾くだろう」と安易な考えを抱いたものの、一向にページがめくれる気配もない。ネタ帳を洗濯してしまったことよりも、「洗濯するときに確認さえ忘れるほど、その時に頭の中を駆け巡っていた他の事」のほうが大事なのかもしれない。それを思うと、これはこれで良かったんだと思う。やっぱりこれでいいのだ。

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令和3年如月/20「感激フジヤマ」       ​

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​吸い込まれそうな青い空に、朝からボーっとした。「この青がどんどん濃くなって、どこから真っ黒な宇宙に吸収されるんだろうか」と想像をふくらませていた。何事においても「キワ」は一体どこにあるんだろうか。それとも無いのだろうか。そのアイマイさはもしかしたらハッキリさせないほうがいいのかもしれない。いやむしろ、ハッキリできないのかもしれない。今日はそんなことを思いながら空の色がどんどん変化してゆくさまを心のそれに重ねて過ごしていた。なんだか愉快だった。

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令和3年睦月/1「恭賀新年」       ​

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初詣に出かけようと玄関のドアを開けたら、目の前に「飛行機」が何機もいっぱいに見えた。きっと今年も幸せいっぱいにイザナってくれるヤタガラスが我が家にも立ち寄ってくださったのでしょうか。足跡だけでも、とっても縁起がいい。今年も皆さまにとって笑顔あふれる365日となりますように・・・。

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令和2年師走/25「ひとひらの雪」       ​

空から舞い落ちてくる雪の様子をずっと眺めていたら、その1粒1粒が「あ」とか「る」とか英字の「A」とか「G」に思えた。もしかしたら私が気付かないだけで、雪が単語になり、メッセージとなって何かを訴えかけて来ているんじゃないかとも思った。そしたら不思議と、嬉しさとも違う笑いが心の奥底から湧き上がってきた。私は寒さも忘れて、ただただそこに立ち尽くし、自分が活かされていることを思い知らされた。それが嬉かった。

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令和2年師走/12「まさかのゴム手」       ​

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不思議なことは多々起こる。使い古したゴム手袋が破けたので、新しいものを買って来たときのことだ。新品の封を切り、(私は左利きなので)左手にまず1つ目のゴム手袋をはめた。ここまでは良かった。そして同じく右手にもそれをはめたのだが、明らかに違和感が残る。「最初にはめた左手のゴム手が右だったのかも」などと思い、両方とも外し、最初に左手にはめたそれを右手にはめてみた。直後に「あれ?」と先ほどと同じ違和感を味わった。考えるまでもなく、2つとも(上の写真のように)左手のゴム手だったのだ。これには爆笑してしまった。こんなにオモシロいネタにワクワクし、「なぜこうなったのか」と知りたい衝動に駆られ、袋の裏面に書かれた製造元へ電話してみた。すると「このようなケースが稀にある」という返答だったのだ(オモシロすぎる)。そして「商品を交換しますので着払いでお送りください」との申し出を私は即決でお断りした。こんなにオモシロいネタを手放すなんてあんまりだからである。このハプニングの何がオモシロかったのか。それは私という左利きの人間の手元に、左手のゴム手2つが舞い込んだというところである。これが右手2つだったとしても確かにオモシロいネタになることは間違いないが、左手に1つ目をはめた段階では「まだ気付く余地がなかった」というところがミソである。そして今となっては実現できないが、その購入した直後に、またそのお店に行ってみて、同じものをいくつか買ってみたらどうなっていたのか。これは次回のお楽しみにしておこうと思う。

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令和2年師走/10「オドロキモモノキ」       ​

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衝撃の事実!上の写真のガソリンスタンドのマーク左横に三角がある。この意味を今日初めて知った。まさしく「オドロキモモノキ」すぎて言葉が出てこず、しばらく立ちすくんでしまった。この三角の意味は「左側に給油口がありますよ」ということらしい。右に給油口の車はもちろん三角が右に出ているということ。今日からまた楽しみが1つ増えた。(ウシシシ・・・)

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令和2年師走/5「眠れナイト」       ​

年末年始にかけて論文の仕上げに取り掛かる。それに必要な参考文献の数はざっと20冊。知識…それ自体は「使わなければ、そのまま山積み」なのかもしれないけれど、誰かと何かのきっかけで化学反応する場面に出くわした日には、それが何倍にも何十倍にも立体的な拡がりを見せ、深みを帯びる。そこに知的好奇心の大いなる醍醐味があるのかもしれない。そして、知識を身につけた後に見える目の前の世界と言ったら、心躍るようなワクワク感でさらに満たされる。日々、気になることが増えすぎて、キョロキョロせずに道は歩けなくなる。そうやって我々は知識や情報というものを「誰かとつながるための架け橋」として無意識のうちに集めているのかもしれない。いろいろ思いを巡らせると、日常のあらゆる場面が興味深いことの重なり合いであることに気付く・・・眠れナイトが続く。

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令和2年霜月/23「奉祝・新嘗祭」       ​

一年間のうちで最も大事な神事「新嘗祭」。今年も無事にお祝いすることができたのが何より嬉しく、今夜から食することができる新米も楽しみで仕方がない。皇紀2680年目を迎えた今年の「1123」も「フィボナッチ数列」を思い出しながら歴史の流れに身を任せて、西洋も東洋も存分に味わいながら年の瀬へと気分が高揚(紅葉)している。来月(師走22日)からは「風の時代」へ突入する。今まで通用していたことや当たり前だと思っていたとが大きくガラリと変化する時代が来る。実に​楽しみでならない。

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​ずっと写メを撮りたかった神社の幹。外枠が苔生していて二重丸みたいになってるのがオモシロすぎる。

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令和2年霜月/10「祝・パンク」       ​

朝、エンジンをかけて車を一回りしてみたら右後輪タイヤがパンクしていた。思わず「ラッキー!』と嬉しくなった。その嬉しさは2つあり、1つは「走行中にパンクしなくて良かった良かった」という安全を喜んでのラッキー。もう1つは「タイヤ交換できるなんて経験値が増える!」というものだった。結果的に修理工場へタイヤを持って行ったら「年代も型も少し古かったですね」と言われ、普段からタイヤへの気配りをしていなかったことに気付かされ、反省した。もしかしたら大雪の山道でパンクなどしようものなら、それこそ大変なことになっていたに違いない。思い返せば思い返すほど、絶妙なタイミングで私にタイヤが教えてくれたんだと思えてならない。感謝感謝...

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令和2年霜月/9「神秘」       ​

朝もだいぶ冷え込むようになって来た。土も木々も山も空もみんな冬支度をし始めている。車で走ってしまえば見逃してしまうような場面も、少しゆっくり歩を進めてみれば、あちこちに大自然アートが展示されている。そしてそれらを見つけたときの、あの嬉しさといったら何物にも代え難い。

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令和2年神無月/30「紅葉パレット」       ​

なぜか分からないけれど、目覚めた瞬間に誰かに呼ばれているような感覚になって早朝から車を走らせた。それが何なのか全く検討もつかないけれど、磁石に引き寄せられるかのように、普段通らない道へとハンドルを切った。実に不思議だけれど、結局呼ばれていたのは彩り見事な紅葉パレット山だった。「今が旬だから見においで」とお誘いを受けていたのだった。くしゃみを連発しながら、見事な紅葉に魅せられた。

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令和2年長月/10「葉ート」       ​

朝、少し寝ぼけたまま車のエンジンをかけてフロントガラスに目を向けると… 空からの贈り物に感謝感激!なんて素晴らしい瞬間でしょう。私に木々の誰かが恋してるのかと勘違いしてしまった。今日一日は決してワイパーを使ってなるものかと自分に言い聞かせた(でも結果的に数十メートル走ったところで、愛は跡形もなくスッ飛んで行ってしまった)。もしかしたら地面に落ちている落ち葉の数々も、目を凝らして意識していれば、葉ートだらけなのかもしれない。大自然の中で生かされている命に感謝感謝...m(_ _)m

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